忘れ得ぬ人々 (52) 和子さんとの歩み③ S・K
(前回のあらすじ。埼玉に戻り、和子さんの喜ぶ、学びの場に参加。その後は夫婦で共に様々な行事に積極的に参加、求道の日々を過ごす)
自宅療養の一ヶ月半、二十四時間一緒に居られた事が、掛け替えのない貴重な時間でした。亡くなる数日前から言葉も筆談もままならず、前日には時折痛そうな表情になりました。その時に童謡や唱歌・抒情歌等を歌ってあげました。かあさんの歌・旅愁・野なかの薔薇・森の水車・浜辺の歌・赤とんぼ・朧月夜・春の小川・故郷・夕焼けこやけ・やさしいお母さま・里の秋・雨ふりお月さん・・・等々、小一時間ほど、その間は和子さんの表情はとても柔かくおだやかになっていました。目にはうっすら涙をためていたのがとても印象的でした。
家庭の中心的な太陽の和子さんが亡くなり、今なほ心に大きな大きな穴がぽっかりあいた生活が続いておりますが、生長の家の皆様、地元の皆様に支えられて、少しずつ前進していることに感謝をしております。
明るく元気に生活してゆくことが和子さんへの最大の供養であると共に、願いでもあると思います。お付き合いから結婚生活六十年間本当に有難い気持ちでいっぱいです。
それと同時に和子さんを立派に産み育ててくれたお父さん・お母さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
いま祭壇の前で毎日、「和子さんは素晴しい・明るい・楽しい・頭がいい・讃嘆上手・字が上手」と唱えています。
それと「この街で」を歌っております。歌詞の中に「あなた」と「わたし」がたくさん表現されております。「あなた」の箇所を「和子さん」、そして「わたし」の箇所を「茂之さん」と置きかえて歌い、これまで歩んできた道を振り返っております。
これからも次の世も和子さんと二人で歩んでまいります。
和子さんに感謝。感謝。
「有難う」
かすかに言いて
桜散る
朝に妻は
まなこ閉じたり
「茂之さん」
六十年間
ありがとう
メモに残りし
妻の絶筆
〈完〉