忘れ得ぬ人々 (4) 渡邊富雄先生の思い出 ①
小林 茂之
純粋に生長の家を愛し、強い信念を持って伝道に努められ、平成十八年に二重光輪賞を受賞された渡邊富雄先生は、私が歩んで来た人生で最も刺激を受けたお一人で、雲の上の存在であった。そんな富雄先生との出会いは平成十七年のことである。当時、富雄先生は相愛会の事務局長の任に就かれて布教活動に尽力しておられた。その時に会計を担当していた前任者が体調を崩され、その後任を私が引き継ぐことになりました。一ヶ月に二日間の仕事ですが、富雄先生とのお付き合いが始まりました。先生とのお話の中で、四つの事柄がとても印象に残っております。
一つは、文章の表現の巧みさと文字の素晴らしさです。講習会時のお誘いには、普段仕事があり、お誘いにはなかなか外出できません。それを補うのが文章の多才です。殆どが手紙と電話で呼びかけをして、毎回大勢の皆様を会場にお誘いしていました。その文章を支えているのが、愛用の万年筆です。非常に高価な重厚な万年筆で肌身離さず携帯しておられました。人には触れさせたくない万年筆のようでしたが、一度試し書きをさせてもらいました。それはそれは滑らかで、すいすいと手が勝手に動く気配で、貴重な経験を致しました。私には手が届かない代物です。先生は小説家にも向いていたと思います。
二つ目は、生長の家の入信の動機です。十代の頃、医師からも見放された状態で長年闘病生活を送っていた時に、親友の藤田忠治さんから、「人間神の子病無し」を伝えられ、「我健康なり、我幸福なり」と宇宙に向かって毎日二十回放送するようにと言われ、ひたすら素直に大声を張り上げ実践し続けたそうです。言葉の創化力を駆使して、運命を切り開いたとの事。素直な行動に頭が下がりました。藤田忠治さんは、後に奥様となられるヨシ様のお兄さんとの事でした。(次号に続く)