忘れ得ぬ人々 (7) 緒方久子先生を偲んで
古澤 惠子
久子先生は、自衛官で相愛会連合会長だった、ご主人の緒方奨先生とご夫婦で人類光明化運動の先頭にたってご活躍され、生長の家のみ教えそのままの生き方をされていた方です。
昭和四十九年十月に故・奥田登志先生が白鳩会連合会長になられ事務局の体制を整備された頃、久子先生はその片腕となって、母親教室を埼玉県内各地域で開催されるよう尽力。そして「母親教室の本来の目的は、生長の家のみ教えを生きる信徒として、伝道者にまで導かねば本当の救いにならない」と奥田先生と共に運動され、昭和五十五年より教区白鳩会連合会副会長になられました。
久子先生は昭和四十八年より上福岡母親教室を開催されており、私も昭和五十三年に入信し、ご自宅での聖使命感謝奉納祭に参加しました。先生は、「感謝奉納祭は月の初めに、時間も正確に開催する。出来ない時は日にちを早めて開催するように」とご指導くださいました。その後も「神様ごとは第一にしなさい」「行事は本部行事、教区行事、地区行事、支部行事の順は崩さない。そうする事で全てが整ってきます」等々ご指導くださいました。
私が聖典普及対策部長のお役をいただいた頃に、子どもが幼くて幹部会を欠席したことがありました。ある方にとがめられた時、久子先生は「古澤さんは無断で休む人ではありません」と私をかばってくださいました。その時「私を信じて守ってくださった先生についていこう」と心に決めました。
その後私は四十八歳で総連会長を引き継ぎました。
総連の会議もしばらくは先生のお宅で開催させていただきました。私が今あるのは先生のお陰と思っています。「役職というのは、引き際が大切よ」と、何回もご指導くださいました。先生は真摯な信仰姿勢を崩すことなく、九十三歳で天寿を全うされました。この歳になって先生が言われていた、後継者を作ることの大切さを、本当の意味で理解させていただいています。