忘れ得ぬ人々 (5) 渡邊富雄先生の思い出 ②

小林 茂之

前回からの続きです。さて、三つ目は、最愛の奥様ヨシ様との最後の辛いお別れのお話です。奥様が誌友会の最中に倒れられ、亡くなるまでの一週間ほど意識は戻らなかったそうです。倒れられる朝、奥様から教化部に電話があった時の素っ気なかった応対を深く反省され、何故もっと優しい言葉をかけてやらなかったのだろうかと今も悔やまれて仕方がない、との重い言葉をお聞きしました。強く胸を打たれ締め付けられる思いがしました。そのことをわが事として今も強く受け止めております。

最後四つ目は、富雄先生と短歌の出会いです。先生が短歌に心を惹かれた動機は「新平家物語」で平家の公達の負け戦に出陣する際に辞世の一首を詠む「歌心」であり、また、親鸞の求道中の随所に詠まれた歌に感銘をうけたそうです。その後俄然(がぜん)と作歌熱が高まり、毎日四,五首は詠み、その頃より「生長の家」誌にも毎月投稿をされ、作品が掲載されるようになったそうです。当時は、選者の先生がお二人おられ、二人の選者からトップで選ばれないと満足はしていないと意欲的なお話を聞きました。素晴らしい向上心と思います。私は当時俳句を創作しておりましたが、その影響で短歌も始めるようになりました。仕事そっちのけで短歌や俳句の話に明け暮れた日もありました。歌の話をしているときは、さらに生き生きとされておられるご様子を今も忘れることはできません。その背景には自慢の素晴らしい四人のお嬢様方がおられることです。作品の題材にしばしばご家族が登場しております。ほのぼのとした家族愛の作品を目にしております。奥様想い、子供さん想いのあの優しい富雄先生のお姿を一生忘れることはありません。

そして最後はいつも皇居歌会始の話になります。毎年のお題の話となり、どんな歌を詠まれたの とか、いろいろな会話をしながら、一生に一度は宮内庁から招待を受けて、天皇皇后両陛下と皇族の皆様に拝謁したいねと、お互いに励まし合いながら、二人で一緒なら更に良いねと毎年応募しておりました。

数多くある先生の作品の中から私が印象に残った作品を最後に掲げます。

短歌

 食べる次女 豆まく三女 止める四女

 関知せぬ長女 今日の節分

俳句

 鯉幟(こいのぼり) 四人の娘我にあり

次世代でも同年代に会える事を楽しみにしながら、私も残された時間を富雄先生の様に向上心を持って日々送りたいと思います。

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