忘れ得ぬ人々 (9) 思い出の小池晃代先生  

仲鉢 ミチ 

私は何も知らぬまま、当時、本太にあった教化部の練成に誘われ参加いたしました。

    観音様のような容姿の方が、流産児供養の話をされており、死んだら「オシマイ」と思っていた私でしたから、霊界、来世のあること等、衝撃でした。毎月の流産児供養祭で巫女(みこ)さんの装束で講話を担当された方が、練成主任の小池晃代先生でした。「浄心行を重要視していない方がありますが、谷口雅春先生と輝子先生は〝もっと浄まって皆を救ってあげたい、実相人間たるにはもっと浄まって皆を愛してあげたい〟と仰って、団参の参加者と共に受けられた位に大切な行である。先祖供養、祈り合いと共に神聖な行事です」と、行を大事になされる先生でした。

 昭和六十年頃、私が練成を手伝う様になったのは、講師会推進部員の時に先生から話をいただいたからです。司会役を受けた時、プログラムに添い、名称など間違わないようにして、余った時間は何をするか考え臨みました。講話中メモを執りましたら、即飛んで来られ「道場全体のことに気配りする。無駄な明かりを消したり、就寝中の温度や、起床時気持ち良く着替え出来る様に調整する」等々、教えていただき、お陰で今でも身についています。

 楽しい思い出は、渡辺洋子講師の車で、「スーパーいいだ」で茶菓子を買い、先生の用意された人数分の小籠に盛り道場で円座で飲食しながら練成の感想を語り合うのも練成中の一晩だけの楽しみでした。また、先生を囲み、数人の運営委員との反省会、おしゃべりで盛り上がり、隣室でお休みの方に「ウルサイ」とのおしかりをいただいたのも懐かしい思い出です。

 私の体調が悪く、「発熱で病院に行きたいので休ませてください」とお願いの電話をする筈が、先生は、「発熱、病院」まで聞いて「終わったら来なさい」ガチャン。「神様! お任せ」の心境です。当時は受付役ですから、皆様に気付かれないように、満面の笑顔で参加なさる皆様をお迎えさせていただきました。

 小池先生はご主人共々熱心に信仰され、小池要治先生は教化部事務局長としても長年活躍され、晃代先生は練成主任を勤められました。

 先生と教化部でお目にかかれなくなってからは本山からお守りをお送りし、届くと先生は電話くださり健康を喜び語り合いました。晩年は施設に入られましたが、施設を訪問してくださった宮本康子講師、平田永遠子講師のご愛念でお声を聞かせていただき嬉しかったです。「気配りをする」「終わったら来なさい」の二つの言葉で私の人生が形づくられたように思います。導いてくださった小池晃代先生ありがとうございます。感謝でいっぱいです。

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