202408月号 天之御中主神

 天地初発の時、現れた 「天之御中主大神」について生長の家総裁・谷口雅宣先生の御著書『宗教はなぜ都会を離れるか?』に「生長の家大神」は「唯一絶対神」であり、日本の伝統においては、「八百万の神々」と呼ばれるように沢山の種類の神々が出てきますが、生長の家ではこれらを個々別々に考えずに唯一絶対神の数多くの現れだと捉え、この多くの神々のトップバッターが天之御中主神だとお説き下さり、この神が宇宙本源神であることを谷口雅春先生は繰り返し説かれていて、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神」と書かれていることをこの御著書で示されました。
 日本人は宇宙根元の神様を『天之御中主神』と捉え、この神様は「隠り身」として現象的には目に見えない姿として全ての中にましまして生かして下さっています。私たちの中にも生かしている神であり、すべてのものの理念的な存在としてすべてのものを生かしています。この自覚を持って現象世界を見るとき、すべてが芸術的な現れになります。どんな姿の人でも、どんな環境でも神の芸術作品とみることが出来ます。一回や二回失敗しても何回でもやり直しながら、描き直しながら作品を仕上げていく楽しみがあります。
 谷口雅春先生の御著書『如意自在の生活365章』59ページに『善き業にもいろいろある。他に金銭を恵むのも善き業であり、真理を伝えるのも善き業である。もっと根本的な善業は、神の善意を信ずることである。神を、神罰の本源や、災禍の本源であるかのごとく信ずるならば、それは根本的な悪業を積むことになるのである。神は健康の本源であり、力の本源であり、美の本源であり、富の本源であり、繁栄の本源であるのである。その本源を正しく認めて、その本源と融合して、神の〝み心〟とともに生活するように心懸けるのが、本当の根本的な善業である。(以下略)』と書かれています。本当の神様を信じ、神様の世界に一切の悪はない、善のみの世界ですから、神様のなさることに間違いはない、と唯神実相の根元の神を信じつつ、芸術的な生き方を楽しむ。何でこんな問題が出てくるのかと思われるとき、その問題の中に正反対に現れている事に解決のカギがあります。夜があって朝が出てくるのです。

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