202412月号 美しさの探究
全てのものの中には、必ずそのものの美しさがあります。どんなに汚く見えても、たとえ美しさが感じられなくてもとても美しいものが中に秘められています。
今年の「生命学園研修会」では割り箸と墨汁を使って絵を描く実修をしました。描くものとして「この道場の周りで一番汚いと思われる葉っぱを拾ってきて下さい」と云いますと参加者は戸惑いながら外に出て行きました。しばらくして、色々な落ち葉を拾ってきました。黒くなった葉っぱや丸くなって虫が一杯食っているような葉っぱなどどう見ても美しいと思えないものばかりでした。 それを画用紙の上に置いてじっくりと見ていただき、その中にある美しさを発見して貰いました。参加者の皆さんは真剣に葉っぱを見つめ、そのうち枯れた葉っぱの中から葉脈の美しさや虫の食った葉っぱの中にきれいなところを見つけ、描き始めました。今までは一番きれいな葉っぱを見つけて描きましたが、どんなに汚いと思われるような中にも美しさがあることを発見しました。特別きれいなものを描かなくても、私たちの周りに、どんな中にも美しさに満ちていることを学習しました。
以前生命の教育の勉強会で、美しさの見方の学習に上野の博物館に行ったことがありました。指導して下さるN先生と数名の参加者です。その中で埴輪が展示されているところで、古代の人のおおらかな形や線を見ました。その中に欠けてあるところを石膏で補強してある部分がありました。そこをよく見て補強していない部分と比べますと補強してある部分は正確であっても小さく硬く見えました。そこで、偽物はどんなに上手く正確に作っていても古代人の作ったおおらかさは出てこないことを学びました。
また、奈良の東大寺の裏にある正倉院をN先生と共に見学したことがありました。そこで、正倉院の甍を見て線の美しさをじっくり見ました。その甍は雄大さがありました。そしてその隣にある宝物が納めてある現代の倉庫の屋根を見ました。正倉院に似せてはいますが現代の甍は正倉院のおおらかさ、雄大さは出ていませんでした。その後、東大寺の三月堂の仏像を見ました。その中の金剛力士像の一体の腕が後世に修正してありました。N先生はある一点からその像を皆に見させました。そうすると修正してある腕が小さく見え、全体の力強さに合いませんでした。そこで、本物と偽物の違いを教わりました。偽物はどんなに上手く出来ていても、小さく硬く見えることでした。
常に本物を観、味わうことをしていきたいものです。