忘れ得ぬ人々 (20)   桑野昭子(てるこ)先生を偲んで  平田 永遠子(とわこ)

私が初めて桑野昭子先生にお会いしたのは昭和五十八年、朝霞の先生の御自宅で開催された母親教室でした。

先生は常に明るくにこやかに皆さんに接し、美しい声で話をされ、包容力のある信仰一筋の生活をされていました。

当時、白鳩会長は奥田登志先生で、埼玉教区で初めて母親教室を開催するようになりました。

教区各地区では会場が増え、人も多く集まりました。桑野先生は講師をすると共に御自宅を母親教室、誌友会会場に提供し、自宅で開催するときは子供達を外に連れ出し、遊ばせておられました。そして、講師の講話が終わる頃、子供達と戻り、懇談会での食事の準備をされました。

お料理も大変上手で、美味しく、子供達がはしゃいで飛び回る中での懇談は賑やかで楽しい一時でした。

また、毎週日曜日には、御自宅で午前五時半から早朝行事をしてくださり、神想観、聖歌、聖経読誦、『生命の実相』の輪読を行い、毎回六~七名の神の子さんが集まりました。これは二十六年続いたそうです。

先生の個人指導は地元の方や多くの方々に深い愛念をもって夜遅くまで指導されることもありました。

そして会員へと導き、朝霞の白鳩会は規模が大きくなっていきました。

総連会長、教区副会長としても活躍され、講習会推進の家庭訪問は一日五十軒ぐらい回ったとのこと。先生に頼まれると断れないと多くの人々が参加してくださいました。そして終わると直ちに次回につながる事を心がけておられました。

先生は「気付きが大切ですよ」とよく話されておりました。日常の生活の中で、気付きが動力となって行動し習慣になると、その人の雰囲気となり、運命にもなる。とのことです。自宅でお掃除をするときは、「ありがとうございます、ありがとうございます」と唱えながら。生長の家の活動が出来るのは御主人さまの大きな応援があるからと大変感謝されていました。

二重光輪賞の受賞が決まった後、先生は大腿骨を骨折してしまいましたが、総本山での授賞式に参加したいとの一念で、手術後のリハビリを頑張り、念願を叶えました。

平成二十八年十二月八日まで、お元気でしたが、突然に霊界に旅立たれ驚きました。

桑野先生のふくよかで優しいにこやかな笑顔を忘れることはできません。

先生ありがとうございました。感謝し、御礼を申し上げます。

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