202506月号 碧巌録講義の祖

 6月17日は谷口雅春大聖師40年祭です。総本山顕斎殿で御祭がとり行われ、国際本部より配信があります。フェイスブックでの配信はありませんので、森のオフィスの公式サイトから視聴するか、教化部大道場でも、スクリーンを通して参加いただけます。
 『生長の火をかざして』という以前発刊されたグラフに谷口雅春大聖師の『「碧巌録」終講の辞』が掲載されていますが、その最後が次のような御文章で終わっていました。
『ある日、一人の僧来って問ふ。
「祇だ達磨の如きは是〝祖〟たりや否や」と。仏法は達磨が教祖となって創始した宗教ではないから、大光禅師は、
「是れ祖ならず」と答へた。すると、問僧は、
「既に祖に非ずんば、又来たって何をか為す」と問ふ。
「ただ汝等薦まざるが為なり」(お前達が本当の祖を薦挙しないからだ)と応えている。すると僧は、「我等が誰かほかの人を推挙した後は、如何?」と反問している。すると大光は、「方に彼を祖とするに足らず」とハッキリ答えている。ほかの人を推挙しようが、推挙しまいが、方に宇宙の法則として、彼は教えの祖として推挙するに足りないのである。 私が碧巌録の講義を茲に連載しようが、連載しまいが、方に私は碧巌録講義の祖ではないのである。私の今まで書き綴って来た講義は、単に先師の講義せられたところに啓発されたところの祖述に過ぎないのである』と書かれています。ここは何回も読みましたがピンと来ませんでしたが、あらためて今回ここを拝読しますと凄いことが書かれていると感じました。
 『新版菩薩は何を為すべきか』P107に「『生命の実相』の第一巻に、「私は教祖ではない。教祖は霊界にいます神である」と宣言してあります通り、私は唯〝ラッパ〟に過ぎないのであります』と示されている通りです。イエスキリストでもお釈迦様でも祖足らず、ということになり、教えの元は宇宙の本源神、神様の中にあるということになります。そして私たちの生き方として同書P115にあるように『生長の家大神と総括して申上る宇宙創造神、それの人格的顕現としてあらわれた住吉大神、塩椎大神、観世音菩薩、その他、諸々のこの運動に日夜働きたまえる高級なる諸神諸仏諸霊の「仏果の光に包まれて今日を過すおのれの心の奥底を深く厳しくみつめて、ひたすらに日々の行持をつつしんで、つねに聖典を読誦し、神想観を修して実相の観入に」努力しなければならないのであります』と示されています。谷口雅春大聖師40年祭をお迎えし、心より感謝の気持ちで、精一杯神の御心を生きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です