202602月号 御心を成就する

 2月11日の「建国記念の日」は埼玉県教化部でも午前10時30分より祝賀式が行われ、参加者には、お赤飯が振る舞われます。
 天孫邇邇芸命が天降って、慶びを積み、暉を重ね、長い年月が経って、荒廃していた日向の国の人々も豊かに平和な国になったが、遠く遙かなる土地は、村同士が互いに境を作って争いあっているために人々が苦しんでいることが伝わってきた。
 第一代神武天皇は、45歳の時、そこでどのようにしたらよいかと皇子たちと話し合いました。そして塩土老翁(祖父)に御心を聞くと「東に行きなさい。そこは四方が靑山に周まれ、美しきところで、必ず大業を恢弘べて天下に光宅るに足りるところだ」といわれ、早速その年の10月5日に諸々の皇子たち・舟軍を率いて東征に向かわれました。途中、お米の作り方、蚕の飼い方等を教え、遷都しながら河内国草香邑白肩津に到着し、徒歩で竜田に向かいました。しかしその路は狭くて険しいので、後戻りして東方の生駒山を越えて大和に入ろうとしました。
 ところが、それを聞きつけた饒速日の家来の長髄彦が「はるばる、天神の御子たちが来たということは、必ず我が国を奪わんとするためであろう」と言って、直ちに兵を集め率いて、孔舎衛坂に迎え撃ったので激戦になり、流れ矢が長兄の五瀬命の肘脛に当り、皇軍は形勢不利となって進軍できなくなりました。
 神武天皇は憂慮なされ、胸中深く秘策をめぐらして「今、我は日神の子孫にして、日に向かいて虜を征つ。此れ天の道に逆れり。若かじ、退き還り弱きことを示し、天神国神を礼祭り、背に日神の威を負い、影の髄に圧いふまんには。如此しあらば、曾て刃を血塗らずして虜必ず自ずから敗れなん」とおおせられた。
 日に向かって戦うということは自分の外(現象)に目的、理想を置いて実践することになるので上手くいかない。理想は内にある。その御心を成就していくという観点が大切です。

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