忘れ得ぬ人々 (8) 大澤タツ先生を偲んで 

 若林 蓉子

凜として美しく、いつもやさしい笑顔で、日々の生活に教えを生かされていた、素敵な大澤タツ先生でした。今ある東部地区の土台を造ってくださったお一人でもあります。いろいろご苦労もあったと思います。一時期、体調を崩され、お役を瀧川タカ先生に渡されました。全快してから二人はいつも一緒に、光明化運動に邁進していました。当時の白鳩会連合会長・奥田登志先生に、「あなた達は金魚の糞みたいに、いつもくっついているね!」と言われ、「ハイ、私達は二人で一人前です」と答えられたそうです。片輪である瀧川タカ先生は、脇目もふらずに生長の家一筋で、少し厳しい先生でしたが、悩み事多い私はいろいろ相談に乗っていただき、先生の家に入り浸りでした。大澤先生の優しさと、瀧川先生の厳しさと、丁度良い環境の中で真理を学ばせていただきました。大澤先生は晩年、施設に入られましたが、ご自分のおかれた場所で見事な花を咲かせていました。

面会に行ってもお部屋にいることは少なく、いつも誰かのお役に立っておられました。食堂では皆さんの「おしぼり」を作ったり、誰かのお話を聞いてあげたり、絵手紙を描いたり、何よりも心惹かれ感動したのが、折り紙で花ボンボリを沢山つくられたことです。小さく切った折り紙で、花びらを一枚一枚、折り、重ね、束ね、丸く型を整え飾り紐をつける。気の遠くなるような作業でした。ある時、「幼稚園児が慰問に来るからお礼に持たせてあげる」と言われ、三十数個ストックしていました。私達、加須生命学園でも園児、親、スタッフと大澤先生の愛念が一杯詰まった、花ボンボリを沢山いただきました。

平成二十八年七月、お元気で百歳の誕生日を迎えられました。とってもおめでたいことだと思い、記念に写真つきメッセージカードを贈ることにしました。二十名の講師ににカードを書いていただき、一冊の本に仕上げ、お渡ししました。「ワー懐かしい、なつかしい」といつまでも見入っておられました。翌年、平成二十九年五月四日、百歳と十ヶ月で先生は旅立たれました。大正・昭和・平成と生きてこられ、私達に聖火を渡してくださった、大澤タツ先生ありがとうございました。また来世でもお会いしたく思います。先日、大澤家を訪問した折り、息子さんより「こんなものがありました」と渡されたのが、一筆箋に、大澤先生が最後に書かれたと思われる言葉がありました。「みなさまおげんきにまたあいましょうね おおさわたつ 一〇一歳」微かにお香のかおりがしました。『感無量』

       合掌。

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