忘れ得ぬ人々 (16)種子田(たねだ)誠子講師
浅子貴美子
種子田誠子先生に最初にお会いして感じたのは、言葉使いがとても丁寧で吃驚したことでした。これから先どう接していったら良いのか…と思うほどでした。
私は、母親教室をしていた木本邦子さんと最初に出会い、娘が小さい頃何度か足を運び大変お世話になりました。毎月素晴らしい派遣講師の先生方が来られ、当時、私の身体は産後の日立ちが悪く不安定な状態でしたが、母親教室に数年通っているうちに、徐々に快方に向かい、お陰様で今日まで元気に過ごすことができました。そして、母親教室から誌友会へと足を運ぶうちに、種子田先生との出逢いがあり、その後暖かく見守っていただき、ご指導いただきました。
種子田家の生長の家は三代続き、最初はお母さん、次に種子田先生、そして娘さんへと続き羨ましい限りです。娘さんが高校から大学のころ、意識不明となり、救急車で病院に搬送されたことが何回かありました。以前からお母さんに先祖供養の大切さを聞いていたので、早速、実行すると、その後は一度も発作は起こらず、その仏壇は手先の器用なご主人が作られたとのことです。
教えに対して素直に行じる先生でした。
大宮総連会長、教区の副会長を拝命され、誌友会出講の傍ら、趣味で俳句の旅に出る機会も多く、時には私達も一緒に連れていってくださいました。数回ご一緒させていただき、楽しい思い出になりました。何も分からない私ですが俳句に使う季語などを教えていただき大変勉強になりました。
種子田先生の性格は、真面目で何事もきちんとこなし、会計を引き継いだ私にも、とてもわかりやすく指導してくださいました。また、誌友会の時なども時間は必ず早めに出発するところも私の好きなところでした。荷物が多い時は「一つ持ってくださる?」と言われ、家も近くなので会場まで引き受けて、一緒に自転車で荷物を乗せ、七里コミュニティセンターなどに向かいました。
入院されていたとき、大谷支部の皆さんで連れ立ってお見舞いに行くと、とても元気そうで笑顔で迎えてくださり、お話も普通にできたのでホッとした時もありました。当時はご主人様と一緒によく買い物をする姿もお見受けし、困った時にはお互いに助け合って余生を送るって素敵だなと思いました。
晩年は素敵な施設に入り、時々は会費のこともあり、訪問させていただき、いろいろとおしゃべりをして、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
昇天後、月日がたち大谷支部の皆さんでお墓参りをさせていただきました。
先生ご指導ありがとうございました。