忘れ得ぬ人々 (23)松本かつ江先生を偲んで             戸田 歌子  

   

私が初めて松本先生にお会いしたのは昭和五十年、上木崎の小島喜代子先生のご自宅で開催された母親教室でした。

松本先生は、母親教室の会場準備、受付、接待、講師の送迎等もされ、私も共にお手伝いをさせていただきました。

ソフトで優しい言葉づかい、愛のこもった細やかな心遣いを学ばせていただきました。

先生の入信は、二人の息子さん達が通っていた幼稚園での、小島喜代子先生との出会いです。生長の家の信徒である小島先生は当時その幼稚園の先生でした。

松本先生は、その後生長の家が大好きになり、ご主人ならびに小島喜代子先生に常にハイ「拝」を実践し熱心に真理の勉強をされました。

やがて、小島先生から引き継がれた母親教室、埼玉浦和生命学園、青少年練成会等で活躍し私もお手伝いとして誘われ、河口湖の花火大会、秋ヶ瀬でのバーベキュー、宇治の盂蘭盆供養大祭、団体参拝練成会と、共に参加させていただき、今となっては楽しい思い出がたくさんあります。

支部長、地区連合会長、総連会長のお役もされ、ご主人の理解もあり、生長の家第一の生活で、教化部での全ての行事に出席されていました。

また、産土神の足立神社へは、毎朝六時頃欠かさずお参りして庭を掃き清め、早朝参拝者を講習会、誌友会へとお誘いしておりました。

松本先生のご指導で、地区の会員も愛行へと誘われ、普及誌を持ち、駅前、講習会会場近辺、氷川神社等へも行き、多くの人々に愛他行を共にされておりました。

出講講師として地元の誌友会等に煮物を持参するなど、地元へも愛を届けてくださいました。

晩年体調をくずされ「病院に行ってください」との周りの声も届かず、参加するはずだった幹部研鑽会の朝、自宅で倒れアッという間に昇天されました。

亡くなられ、生命学園でお世話になっていた私の孫と先生のお墓参りに行きました。広い墓地で場所が見当たらず、捜し廻っていた時、ふと孫が「僕の名前を呼ぶ声がしたので振り返ると松本先生のお墓だったよ」と言って、霊界に逝かれても、生命学園児を忘れない温かい心で見守っていてくださることを思い、私は胸が熱くなり感激いたしました。

まじめで、頑張り屋、生長の家の真理の言葉を常にコトバとして生きておられました。現在、その思いは息子さんに受け継がれ、生長の家の勉強を重ねておられます。

松本先生、たくさんの愛をありがとうございました。

きっと霊界では、谷口雅春先生のお弟子となって真理を学んでいることと思います。

 感謝合掌 

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在りし日の松本かつ江講師

                      





団体参拝練成会にて、左が松本講師、左から3番目が戸田さん

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