忘れ得ぬ人々 (29) 樋口浩代先生を偲んで 大黒 智津子

 平成十二年七月『生命学園を手伝ってほしいのですが…』と明るく快活な声の方から電話がありました。その会話の相手が樋口浩代先生で初めて言葉を交わした時です。その頃生命学園は教化部で開催している「埼玉生命学園」と「狭山生命学園」位でした。九月の開催日に見学に行きますと、『樋口浩代です。よろしく』とニコッと笑ってくださり、五月に富山教区から引っ越してきたばかりの私は緊張がほぐれたことを思い出します。ユーモアがあり大らかな雰囲気でピアノを弾きながら『君が代』をうたわれたり、児童たちの気持ちを引き付けながら話を上手にされて、大事な存在の方だとすぐにわかりました。しかし朝礼中にふざけすぎていたり、大道場の神殿にドタドタ上がる児童にはピシッと注意していました。先生の凛とした態度も見習いたいと思いました。
 四期十二年間の生教会会長役務中、教育学会には毎回参加して『一総連一生命学園を開園しましょう』という当時の多湖周子教化部長先生の提案の基、十六生命学園の開園へと導いたことは圧巻でした。
 園長先生方に耳を傾けてよく話を聞いておられた姿が目にうかびます。また、青少年練成会も青年会と協力して夏・冬と開催して春は一日見真会を行い、企画・資料作成はパソコンを駆使してほとんど一人で作って会議に臨んでました。何故そんなに頑張るのか尋ねたら、「生長の家の信仰に深い父と優しい母に迷惑をかけたくないし、教化部長をしている弟に恥をかかせたくないから」 と答えてくれました。色々なことを胸に納めて明るく振る舞う姿は私より七歳も若い人とは思えませんでした。プレッシャーを感じながらもポジティブに頑張っていた先生の最後の夏の青少年練成会は一生忘れられません。
 令和元年七月二七日~二九日までの二泊三日 猛暑の三日間でした。二日目は小川町で伝統の和紙漉きと、手打ちうどん作りに挑戦しました。初めての経験に子供たちは大張り切りでした。樋口先生はかなり辛そうでしたが、何も仰らずに見守ってくれてました。その日教化部の大道場で隣りに寝ました。ふっと夜中に目を覚ますと先生は窓際の椅子に座っていました。最終日最後の挨拶をしてくださり、何故か涙が止まらなかったことを覚えています。その後、何日か過ぎて先生に電話をかけました。『ずーっと連続で参加していた教育学会を欠席するので引率をお願いね』と言われました。一緒に行けないのは残念だけど責任もっていってくることを約束して電話を切りました。それが今生での最後の会話となり令和元年八月十八日に昇天されました。
 何でも前向きに挑戦して あたたかい声掛けをしてくれた樋口先生。ありがとうございました。これからも生教会の発展を見守っていてください。

今生での別れとなった青少年練成会で。樋口さん(左)と

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