忘れ得ぬ人々 (34) 沼崎豊吉先生・秦和悦先生 岡本昌紀

私が大阪から埼玉に引っ越してきて、地元狭山でお世話になった、思い出深い二名の方を紹介します。
昭和五十年代から平成の前半にかけて狭山相愛会を築いてきた沼崎豊吉先生・秦和悦先生は、とても仲の良いコンビでありました。いつでも沼崎先生の運転する車で教化部に来たり、家庭訪問に行ったりと行動を共にしていたことを覚えています。
昭和の埼玉教区のあゆみを綴った「聖風」によると、「沼崎先生は、昭和五十年に川越相愛会から地元の狭山相愛会に帰り、後に狭山相愛会第三代会長を拝命し、それと同時にかつて大阪青年会の光明実践委員として活躍した岡本昌紀氏と秦和悦氏が転入し、機動力を駆使して狭山の教勢拡大に努力したので信徒の年齢層が一段と若返り、六十一年九月、秦和悦氏が会長となって聖火を受け継ぎました。」とあります。沼崎先生は、狭山相愛会長を譲った後、教区の対策部長や副連合会長としても活躍をされました。
二人を語るうえで特に印象深いのは、狭山の教勢発展の為に常に祈り、伝道をされていたことです。毎週日曜日は、狭山の仲間数名が集まって、八幡神社の神殿前で正座して神想観を実修していました。この集まりは、十数年続きました。
ある時、いつも通り神殿前で神想観を実修していたら、知らないおばあちゃんも一緒に横に座ってお祈りをしていたことがありました。後から聞くと、「ここの神社はこういう形式でお参りするもんだと思って一緒に座ってました。」と言われたという笑い話もありました。
また、毎年一月十五日の成人の日(当時)には『理想世界』誌をたくさん持って成人式の会場に行き、新成人の方々に配り、地元の青年誌友会に来てくださいと誘っていました。その純粋で、熱心な姿にとても感心しました。
そのような祈りと地道な伝道の甲斐あって狭山相愛会の誌友会は、毎回多くの方が集まり、深い真理の話を学ぶとともに参加者同士の明るい話に花咲きました。日高の萩野晴敏先生も参加され、誌友会の最後には毎回浪花節を歌ったのもとても楽しい思い出です。沼崎先生は基本的にまじめな方でしたが、そのときの楽しそうな姿は今でも心に焼きついています。
沼崎先生は、平成二十年七月に八十三歳で亡くなられ、秦先生は昨年二月に九十二歳で亡くなられました。両先生のご家族は今でも聖使命会員として協力下さっています。特に秦先生の次男さんはしっかり後を継ぎ、聖使命会費を毎月預かりに訪問しますが、お父さんの霊宮と家族の聖使命会費をきっちり準備して待っていてくださっています。
狭山相愛会を支えて下さった名コンビは、霊界でも楽しく光明化運動に邁進していることと思います。ありがとうございました。

沼崎講師
秦講師

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