本物を見る① 教化部長 木場一廣

『太陽』という冊子がありますが、昭和五十四年二月号の特集に古美術鑑定の「にせ物・ほん物」というのがありました。興味がありましたので購入し、当時東京の赤坂で生命の教育の指導者の研修を行っていましたので、その受講者にどれが本物か贋物かと「本物」「贋物」と表示してあるのを隠してその絵を見せますと、贋物を本物と間違える人がほとんどでした。一見すると贋物の方が本物よりうまく描かれているからでした。しかし、よく見ると本物は下手なように見えながら、大きく見えたり、奥行きが感じられたり、伸び伸びしていたり、迫ってくるものがあったり、つながり(デッサンが合うとか、筆脈がある)があったりしました。それが本物を見分ける基本にもなりました。

 それからは指導者のN講師の指導で、東京上野の博物館に行って、上記の作品の見方を観点として名筆や絵画の名作を鑑賞したり、古代の埴輪を見たり、奈良に行って東大寺の裏の正倉院の建物や三月堂の仏像を鑑賞したりしました。そこで現代の甍と奈良時代の甍の違いを見比べると、やはり奈良時代の建物は現代と比べてスケールが大きく伸びやかなのを感じました。また、印象的だったのは三月堂の仏像が後の時代に修正してあると、そこの箇所がある一点から見ると正確ではあるが全体から見るとそこだけ小さく見えることでした。

 仏像の見方も学びました。その仏像はどこから拝んだか、を探してみるとその位置に来たとき、何とも言えない荘厳さが感じられる事を教わりました。作者はそこを考えて作ってありました。石仏も背景の山や森などを考慮して作られてある事を学びました。また、書道の名筆と云われ、今でも残っているものの中には下書きの書(顔真卿の争坐位帳等)や手紙などが残っていて、清書したものがほとんどないことには驚きでした。つまり、うまく書こうと思わないでそのままの気持ちで楽に書いた作品が良く、清書してうまく書こうというのは残っていませんでした。そのまま書いた作品が大きく伸び伸びとしてつながりがありました。

 名筆や名作を鑑賞し、自分なりに「いいな」と感じたものが自分のものになります。

 形にとらわれずに、良いものを見つけることが本物を見る勉強になります。子どもの作品の良さも上記の観点から見ていきますとわかってきます。子どもの作品の良いところが見えないのは子どもがダメなのではなく、指導者の見方が足りないだけという事になります。沢山良いところを探して本物を見る目を養いましょう。  2023年5月号

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です