202407月号 つながりの観方
フェイスブックにスザンヌ・シマードさん(コロンビア大学のカナダの森林生態学者)の講演の動画が載っています。それによると、森は見えているものが全てではなくて、地下にはもう一つの世界が延々と経路を張り巡らせて生物学的世界が木々を繋げ、互いに交流させ、森をあたかも一つの生き物のようにしているということを語っています。
つまり樹と樹が情報交換を行っているということが科学的に証明されたわけです。最近では虫と木も情報交換を行い、鳥同士も情報交換を行っているとテレビで伝えていました。このように植物や動物の間でも繋がりがあるのと同じように人間は動物とも、植物ともつながりをもちます。
頭注版『生命の實相』第八巻のP69からP70に次のような御文章が掲載されています。
『「間」に生命が顕われる
本当の美は、個々にあるのではない。メーテルリンクの戯曲の科白は言葉と言葉との間で魂を語らせたが、なにによらず本当の美は「個」それ自体にあるよりもいっそう多く個と個とを結び合わす「間」にあるのである。一個の音韻はそれほど美しいとは言えないが、それが他の音韻と結び合うとき、一個の音韻それ自身がもたない美が音韻と音韻との「間」にでき上がるのである。色彩でもそのとおりである。二つ以上の色彩が結び合うとき、一個の色彩ではもたない美しさが、色彩と色彩との間にでき上がるのである。音楽も「間」にあり、美術も「間」にあり、人間の生活も「間」にある。「人間」とは誰が言い始めたのか知らないが、人間の生活は一個人にあるのではない。個と個とが結び合った「間」に人間の生活があるのである。眼に見え、感覚に映ずる肉体の人は皆はなればなれの存在であるが、これは朽ちゆく虚仮不実の存在であり、本当の人間ではない。実在である人間はこの感覚に見える現象存在の「間」にのみ顕われるのである。感覚的存在を通じて実相が見えるのではなく、感覚的存在と感覚的存在との「合い間」に実相人間があらわれるのである。この「合い間」を描くのが芸術であり、この合い間を生きるのが「愛」である。』
人間と人間の間が冷たいか温かいか、相手をどう見たら肯定できるかが、つながりをもち、調和の基です。