202501月号 天地はじめの時

 明けましておめでとうございます。素晴らしい年の夜明けです。
 『日々読誦三十章経』の一日の経言に『天地のはじめは今を始めとする理あり』という言葉があります。これは「神皇正統記」(1343年成立)に書かれている文章です。
 過去にどんな嫌なことが起こっても、今が始まりなんだと云う生き方です。また、始めには根元という意味もあります。とかく現象に振り回されたとき、根元に帰ることが大切です。現象発生以前の世界です。
 「毎日一回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし」と信徒行持要目にありますように毎日一回は大神様の御元に帰っていく、つまり「天之御中主大神」に帰って行くことです。帰って行く働きが心を浄めて下さいます。これが天地始めの時に帰ることです。「天之御中主大神」は宇宙の大神様であり、生長の家の神様ですからすべての中に、時々刻々、私たちの中にましまして活かしたもうています。
 『新版菩薩は何を為すべきか』に『私たちはその「中」の「主」なるところの神様から生れて来たのであって、その中のいのちより出でて中に帰る。吾々は中に帰一しなければならない。「神の子」とは天之御中主神の生命が此処に出現して、「中」の理念を実現する為に此処に生きて居ると云うことであります』と書かれています。
 ですからどんな人でも能力に関わりなく、歳に関わりなく大神の使命を受けて此処に生きている。生かされていると云うことです。今まで失敗した、ダメだったと失意のどん底にいても神様の目から見たらそれでよしなのです。
 みそぎの時にイザナギノカミ様が左の目を洗われたときに「天照大御神」がお生まれになりました。左は「日足りる」で光明輝く世界です。私たちが現象ありと現象を摑んでどうしようかと悩むのでは無く、神様の世界に悪いものなしと「日足り」の方から見たら、日の光を受けてそのままで素晴らしい世界が展開してきます。見方を変えていく、それをあらためて認識していくのが歳の始めです。
 昭和40年「理想世界」誌5月号に『「天津神」とは宇宙本源の太極であり、絶対無であり、一切現象の未だ出現せざる以前の「中」であり、そこに還元することによって現象界の乱れや歪みがさるのである。
 その絶対無なる「中」への還元の修業が、茶道といい、華道といい、書道といい、剣道といい、武道といい、歌道といい、神想観というのである』と示されています。
 新年に新たに生まれて出発しましょう。

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