202404月号 サイタ サイタ サクラガサイタ
私が京都第一教区に赴任していたとき(平成九年~十七年)、嵐山に住んでいて、阪急嵐山線で通っていました。阪急嵐山駅から乗りましたが、駅前には一本の桜の木がありました。いつもは、そんなに意識しない桜でしたが、ある年、膨らみかけた蕾を見て「いつ頃咲くだろう」と楽しみにして出勤しました。
その年は三月下旬でもなかなか咲きませんでした。まだかまだかと毎日眺めては電車に乗りました。待って待って桜の花が一輪やっと開いたときは、「サイタ サイタ サクラガサイタ」という戦前教科書にあった文が浮かんできました。この文は、きっと待って待ってやっと桜が咲いたときの喜びを表現した文章だなと思いました。これは一九三三年(昭和八年)から一九四〇年(昭和十五年)まで尋常小学校に入学した世代が使用した『小学国語読本』の中の一番最初にある文章で、「サクラ読本」と呼ばれていました。失敗を重ねてなかなか旨くいかない時やいつかいつかと芽が出るのを待って待ってやっと出来たときの喜びの言葉にも通じるなと思いました。特に教育ではこの「待つ心」が大切です。すぐに結果を求めてしまいますが、その間の努力したことや、色々と苦労したことが結果の善し悪しより大切になります。ちょうど大木であるほど芽の出方が遅かったり、芸術家などで二十代三十代で有名になると五十代六十代で作品が落ちてくると云われたりします。大器晩成と云う言葉もあります。すぐに結果を求めずにじっくりと楽しみにしながら忍び待つ心が大切です。
宮大工の西岡常一(故人)の著書に『木のいのち木のこころ(天)』というのがありますが、この方は奈良県生まれで法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔などを復興させた棟梁です。この本の中に材料となる檜(ひのき)のことが書かれています。
法隆寺の材質は檜を使っていますが、樹齢一三〇〇年と云われた木で伐ってからも一三〇〇年経った今でも生きているというのです。自然に撒かれた檜の種は日が差さないと百年経っても芽が出てこないそうです。ちょっとでも日が差し込むと一斉に競争して芽を出すそうです。樹齢千年二千年の檜は今は日本にはないそうですが、植林したり、挿し木して育ったものは千年も保たないそうです。千年以上経った法隆寺の木はちょっと削ると木の香りがしてくるそうで、若木と違うということです。そして職人の心が佛を敬う心がないと、良い寺社は出来ない。儲け仕事やいやいやさせられたものは釘一本見ても分かるそうです。このように待って待って大事に育った木が日本の文化を支えています。