忘れ得ぬ人々 (28) 久保正子先生の思い出 永井 昭江
私と久保先生の出会いは、五十年以上前、「今度引っ越してきました、永井と申します」とお宅にご挨拶に伺った時でした。明るくニコヤカな笑顔で迎えてくださったのを今でもはっきりと覚えております。
その後、誌友会や毎週会場持ち回りの『生命の実相』の輪読会等のお仲間に入れていただきました。母親教室も立ち上げてくださいました。自転車に書籍や玩具を乗せて、先生の後について中央公民館へ毎日通いました。その後、母親教室は何カ所にも増えました。
先生は、総連合会長、聖歌隊リーダー、白鳩会事務局のお手伝いとフル回転でした。練成会の炊事当番、武道館での全国大会の役務等をお一人で引き受けてくださいました。後に少しづつ引き継いできました時に、こんなに朝早くから遅くまでと、感謝の思いでいっぱいになりました。
先生はお母様から伝えられた生長の家の教えを皆さんにお伝えするのが、ご自分の使命の如くにご自宅の玄関脇に看板を立てて、常に『ひかりの言葉』と行事案内のお知らせを掲げておられ、またご自宅を五十年以上にわたって、奉納祭、誌友会の会場として提供し続けてくださいました。
料理も手芸も書も上手で、毎月美味しい手作り品を出してくださり、特に庭で採れるキンカンの甘露煮は忘れられない味となりました。
私には毛糸の手編みクッションと刺繍入りのテーブルカバーをくださいました。大切な宝物となりました。また、先生のお書きくださった『生長の家信徒行持要目』の書は今でも奉納祭で使わせていただいております。
歌が大好きな先生は、いつもお宅に伺うと、聖歌や美しいメロディーの音楽が流れており、新年会等でソプラノで歌ってくださった声は、少しも衰えることはありませんでした。
地元の老人会では歌の指導を長年にわたってされてました。文化祭の時には指揮をされますので、地元のケーブルテレビの放送では、先生の顔の大写しから始まるのが常でした。お電話の声もハイトーンで「久保です!」と受けてくださりそのお声を聞くだけで癒されておりました。
マイナスなことは一度もお聞きしたことはありませんでしたし、やるべき事はきちっとするという態度はずーっと変わりませんでした。
常に他の人の喜ぶことをご自分の喜びとする生き方をされて、病気ひとつせず最後迄現役で通されまして、ご自分の使命を果たされて、九十五歳まで生き抜かれました。
ありがとうございました。感謝合掌。 (2022年9月号号)
在りし日の 久保正子講師