忘れ得ぬ人々 (41) 北田順一さん 山岸 政昭

私が北田さんと初めてお会いしたきっかけは、平成四年頃に埼玉教区栄える会に入会するため教化部へ北田さんを訪ねたときでした。
その前に、東京第一栄える会新宿支部へ、四谷在住の秋山さんから誘われて支部例会に参加していました。秋山さんは同業の電気屋さんで一緒に仕事していました。埼玉にも拠点があって、埼玉栄える会があることを教えられたのです。平成四年といえば会館が新築されていた頃でした。見るもの、聞くもの、生長の家栄える会は、元気よく、人間は神の子で無限力、素晴らしいと讃嘆されて、元気が出る教えと感じました。
北田さんの印象は、清楚できちんとしてて、頭の良いかたでした。栄える会初心者の私にいろいろと教えて下さいました。毎月第一日曜日には今も続いている、六時からの早朝行事。北田さんが先導でやっていました。もう一か所第三日曜日に所沢の神明社の社務所で神想観と朝食会を開催していました。
一年もすると私に聖経『甘露の法雨』読誦の先導をやるように指導されてやってきました。北田さんの招神歌、みすまるの歌は正調で良くとても上手な発声でした。
毎月の運営会議には必ず電話で「夕方六時から会議あります」と連絡をくださり、毎月出席しました。「栄える広場」というのを広めようと、会員の業務内容とか住所、連絡先の資料を纏めて会員の資料を調べてデータとして冊子を作ったり、支部も増やさないといけないと西部支部を作り会合を進めたり、私は蓮田で東部なので、東部支部を置いて会を進めていました。
十五年くらい前までは、毎年全国繁栄ゼミナールが開催されていました。岡山県で、遺伝子の権威の村上和雄筑波大学名誉教授。北九州では、掃除の神様、鍵山秀三郎。北海道小樽ではダイソーの矢野博丈社長。大阪城会館では、田坂広志・元内閣官房参与。最終回は、横浜で横浜大学名誉教授、植林の神様、宮脇昭さんでした。埼玉からも運営委員が前泊で毎回参加していました。
平成二十二年北田さんは本部栄える会副会長に抜擢されて、全国で活躍されていました。本部とのパイプが強く繋がれて栄える会の意義を常に伝えてくださっていました。
二〇一八(平成三十年)十月に六八歳という若さで霊界へ旅立ちました。まだまだこれからという若さで私達をご指導していただきたいものでした。

『栄える広場』を手にする北田講師

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