202403月号 じっくり見る
春になると朧月がよく見られます。
以前に東京の赤坂に住んでいた建物が戦前の花嫁学校の跡(今は赤坂‶いのちの樹林〟)で、東京生命学園の教場であり生命の教育の指導者の養成の場でした。
昭和五十年九月に生命の教育指導者の勉強で合宿して油絵の実修をしていた時、中秋の名月で見方の実習として授業が終わってから、向かいの乃木神社へ月の鑑賞に行きました。
絵画指導のN先生の指導で一幅の絵を描くように、万葉集の歌人が月の美しさを求めたように、高く登った月と鳥居との構図、樹木の枝越しに見える月、池に映る月など何処から見たら美しいか探して見ることにしました。
周りは六本木の近くで普段は月を意識して見たことはありませんでしたが、あちこちと美しさを探しながら一時間ほどじっくりとお互いに鑑賞し、感嘆し合いました。
その時に参加していた人が次のような感想を述べました。『月をじっくり観た後、さあ帰りましょうと、ふと視線を足下に移した時、常日頃見ていた低い垣根の緑葉が、夜なのにキラキラと輝やきわたり、この世のものとも思えないその美しさに圧倒されて私は立ちすくんでしまいました。こんなに美しい地上世界に私たちは住んでいるのだ。その時はまるでゴッホのハネ橋の絵の中にいるような、美しい世界でした』 と興奮気味に話していました。そして次のような和歌を詠みました。
○夏の夜を友とつれだち月みれば宮居の森は黒くしずもる
○みやしろに柏手うちてみあぐれば黒き木の間に高き月みゆ
このようにじーっと観る訓練をすると、他の自然の美しさも発見できます。全ての中に潜んでいる神のいのちを感ずることが出来ます。私たちの中の神の生命が共鳴してくるのだと思います。それこそが神の子の自覚を深める道ですし、大調和への道と思います。
『善き人生の創造』(谷口雅春先生著)という以前出ていた聖典の中に次のような御文章があります。『多くの人たちは、ものを染々味わうということの値打ちを知らない、そして争いや、金儲けや、奪い合いに没頭していて、「有つ」ことばかりに懸命になっていて、味わうことの価値を閑却しているのであります。現象的所有の詰まらない表面の価値に生きることや、儲けることや奪うことのみに心を捉えられて了って、本当の価値を看過しているのであります。人は「所有する」ことよりも「味う」ことに価値を見出したならば此の世界に本当の平和が訪れてまいりましょう』(原文は旧かな)これこそが今の活動しているPBSの役割ではないかと思いました。もっともっと自然を深く味わい、表現し神との一体感を深めたいと思います。